40年間連れ添った妻から告げられた厳しい現実
「よくある話しだとは聞いてました。でも私がそうなるなんて…」
43年間自動車メーカーの技術者として勤めてきたT(67歳男性)さん。定年退職した日帰宅すると家には誰もいる様子がない。買い物でも出かけたのか?と考えていると食卓の上にTさん宛の封筒が置いてある。
それは妻の筆跡であったため、定年したことへの労いでも書いてあるのかとTさんは開封してみると、離婚届とTさん妻からの自筆の手紙、そしてリスト表のようなものが同封されていた。
手紙には「貴方が定年する日まで待っていました。私の役目もこれで終わりです。離婚届に署名捺印をして役所に提出してください」と書かれていた。
離婚届にはTさん妻の名前と捺印が既にされている。
もう一通。リスト表のようなものには二人の共有財産として不動産の評価額や預貯金額、Tさんの退職金などが書かれており、財産分与として3200万を請求する旨が書かれていた。
すぐさまTさんはTさん妻のスマートフォンに連絡をしたが、着信拒否をされている様で彼女は出ることがない。訳の分からないままただ呆然とするTさんにTさん娘から連絡が来た。Tさん娘は以前からTさん妻から相談されていたためことの一部始終を知っていた。
「一体どうなっているんだ。なんで離婚したいなんて……あいつは何を考えているんだ」
Tさんが声を荒らげて言うとTさん娘は
「以前お母さんに『だれに食わせてもらっていると思ってるんだ!!』って酔っ払って言ったことがあるでしょ?他にも色々と俺が稼いでいるんだから感謝しろ!! 尊敬の念が足りん!!って……例えそうだとしても食事の用意したり、家事をしたりしてお父さんが健康で仕事に行けるようにお母さんが支えてきたのに、それを蔑ろにするような言葉を何度もお母さんに言ってたじゃない。」
「でも、お父さんは明日からもう仕事に行く必要がなくなったんだから、お母さんもお父さんを支える必要がなくなったんだよ。だからお母さんは離婚を決めたの」と淡々とTさんに伝えたのである。
「確かに酔った勢いもあり、そんなようなことを妻に言ったこともあるだろう。しかし、酔った時の言葉を真に受けるなんて馬鹿げいるにも程があるだろう!」Tさんは更に声を荒げ娘にそう伝えたが、娘からは残酷な一言が返ってきた。
「そんな態度だから離婚されるんだよ」
夫婦で築いた資産
リスト表の共有財産等は弁護士を通じて作成したものであり財産分与の金額は正当なものであること。不動産は共同所有は望まず、全て現金で分与すること。もし協議離婚が叶わないのであれば調停離婚から最終的に裁判離婚まで考えている旨をTさんは娘さんから伝えられたのである。
「本気なんだな……」Tさんは愕然とした。
数日後、妻の代理と名乗る女性の弁護士がTさんのもとに訪れた。
Tさんは何とか離婚を取りやめるように妻を説得して貰えないか懇願したが、女性弁護士は「私はTさん妻の弁護士です。彼女は復縁を望んでいませんのでそれはできません。」と冷たく答えたのである。
ダメか……Tさんは妻との復縁を諦めたが、財産分与分の現金3200万円にも納得は出来なかった。
そもそも、この家のローンだって私が働いて払っていたんじゃないか。貯蓄だってそうだ。すべて私の財産だ。私が何か不貞をはたらいたならいざ知れず、なぜ一方的に別れたがっている相手に払わなきゃいけないんだ!!
Tさんは女性弁護士に食ってかかったが無駄な足掻きに過ぎなかった。婚姻後、例え妻が専業主婦であったとしても婚姻関係の期間に築いた財産は夫婦共有のものであり、誰の給与で財産を築いたかは関係ない旨を説明されてしまったのである。
Tさんは繰り返し女性弁護しに自分の正当性や落ち度がない旨を訴えたが、その行為はまるで駄々をこねる幼い子どものようであり、恐らく何度も同じような場面に立ち会ったであろうその女性弁護士はいつものように相手がもう口答えできない迄に論破するのである。
「3200万は現金でご用意ください」
最後にそう言い残すと女性弁護士は帰って言った。
貯金と退職金を合わせれば3200万を現金で用意できないことはない。しかしそれでは日々の生活が出来なくなってしまう。
クルマを売れば当座の生活費はまかなえるかもしれないが、しかしそれでは普段の生活に支障がでるだろう……家を売ってしまえば住むところがなくなる。長年住み慣れた場所を離れのはストレスが溜まる。しかも、離婚のために家を手放しこの地を出ていかなくてはならないなんて周囲に知られたら、もう外にも出られなくなる……様々なしがらみや現実がTさんを悩ませた。
なぜ私がこんな目に……私が全て悪かったのか?しかし、もうどうすることもできない。
いくら考えても現金化できる自宅とクルマは手放すことはできない。これまでクルマは勤めていたメーカーを新車で購入していた。今のクルマを仮に売ってしまい、その代わりに小型タイプのクルマにしたところで中古で購入することなど世間体的に恥をかくだけだ。
まして定年を迎え今更住み慣れない土地で賃貸暮らしなど情けなく惨めなだけだ。新しい場所でも馴染める自信もない。
Tさんの頑固で見栄りな性格が彼自信を追い詰めていいった。
離婚をきっかけに歩み始めたそれぞれの第二の人生
数週間後、Tさんから何も対応されない状況に女性弁護士が再びTさんの前に現れた。
現金が用意できない。家もクルマも売れない。財産分与を見直して欲しいとTさんは女性弁護士に伝えたが彼女はキッパリと断った。そのかわりある人を後日訪問させるのでその人と相談してくださいとその女性弁護士はTさんに言ったのである。
正直Tさんは不安でたまらなかったと言う。一体だれが来るのだろうか?まさか現金が用意できないために財産の差し押さえでもされるのでは?と不安の日々を過ごしたとのこと。
数日後、身なりの良い中年男性がTさんを訪ねてきた。あの女性弁護士からの紹介だという。
恐る恐る話を聞くと、リースバックという方法を教えてくれた。そもそも現金が用意できない場合、どこからか借入をして現金を用意する必要がある。しかし、Tさんは先日定年退職をしたばかりで無職の身であり、用意しなければならない金額も多額となるため借入が難しい状況である。
しかし、リースバックであれば家を売却し、まとまったお金を用意することができ、また、そのまま家賃相場で住み続けることもできる。手に入れたお金は借金ではないため返済は不要。家賃が生活費に見合わなくなったらその時に改めて引越しを考えればよいのである。
家を一旦手放すことに多少の抵抗感はあったTさんであるが、一人娘はすでに嫁いでしまいもうこの家に戻ってくることはない。Tさん妻もTさんとの離婚を希望しこの家に住むことを望んでいない。つまりこの先誰かのためにこの家を残す必要がないことに気づいたTさんはリースバックを利用することを選択したのである。
離婚騒動から2年が過ぎようとしていた頃、Tさんの考えは少しづつ変化していったようだ。
「当初は周囲からの目が気になり適当に誤魔化して妻と離婚したことも黙っていました。毎日イライラしていましたね。しかし、これまでと同じ生活が続けらることで、少しづつ冷静になり色々と考えられるようになれました。もしこれが家を手放して他の見知らぬ土地に行ってしまっていたら、冷静になれずいつまでもイライラしていたかもしれません」Tさんはこの2年間を振り返った。
「最近はやりたいことも見つかり第二の人生として、もっと田舎に引っ越そうかと考えています。どうせ独り身ですから誰からも止められませんし、自分の好きなことをして生きていきますよ」と明るく話すTさん。
「妻とは一切連絡はありません。娘は時々連絡をくれます。妻とは連絡を取り合っているようですが、私はあえて聞きません。彼女もおそらく望んでいないでしょうから」
リースバックを利用したことをきっかけにこれまでの自分を省みる機会ができたというTさん。彼の第二の人生が良いものになることを祈るばかりである。