母と子の二人三脚で頑張ってきた家族に突然の不幸が訪れる
Yさん(48歳男性)の家族は母ひとり子ひとりの2人だけの家族。Yさんの父はYさんが大学を卒業する頃にガンを患い亡くなった。
当時Yさん父はまだ49歳と若かったが、幸いにも持ち家や貯蓄もあり、またYさん自身も大学卒業間近であり、これ以上の学費が必要がないことや、就職先も決まっていたため金銭的な苦労はほとんどなかったという。
「父がなくなった当時は淋しい気持ちでいっぱいでしたが、母を僕が守らなきゃという気持ちであふれていましたね」とYさんは当時の気持ちを語ってくれた。
Yさんは父を亡くしてから母ひとり子ひとりとなり、家族を大切にしたいという思いがこの頃から強くなっていったという。
Yさんは大学卒業後情報処理のエンジニアとして働いていた。その数年後ITバブルと呼ばれる時代に突入し、プログラマーやエンジニアが急速に求められる時代になった。
Yさんも時代に対応する為に最新の知識を学んだり新しいプログラム言語を習得したりするなど、忙しくも充実した日々を過ごしていた。一方で、その忙しい日々の為にYさんは結婚の機会を逃してしまった。
「当時は結婚を前提にお付き合いしていた女性がいたんですが、忙しくて家に帰れないことも多く、休日返上で出勤することも珍しくないために段々すれ違って行ってしまって……」と少し淋しいそうに話すYさん。結局その女性とは別れてしまったためにいまだ独身のままとのこと。
父をなくしてから自分の家族を持つことが夢の一つだったYさん。しかし、その夢も叶えることが難しくなってしまう状況になる。
Yさんの母が突然倒れたのである。
自宅介護の理想と現実
原因は脳梗塞。当時、YさんはYさん母と一緒に暮らしていたがYさん不在の時に倒れてしまったため発見が遅れてしまった。幸い命をなくすまでには至らなかったが後遺症が残っしまい右半身は麻痺したまま全く動かせない状態となってしまったのだ。
この状態だと母一人では生活することができない。Yさんは意を決して会社を辞めフリーランスとして働くことを選択した。
当時からエンジニアやプログラマーとしてフリーランスで働いている人が沢山いましたから不安はありませんでしたし、母の世話ができる時間が確保出来ることが何よりだったと語るYさん。
しかし、厳しい現実がYさん家族を襲うことになる。フリーランスとして働きはじめた当初は仕事は少なかったが、その分母との時間を大切にできると考えあまり悲観的には考えていなかったというYさん。
しかし、時間の経過とともに少しづつ状況は悪化していく。収入が大きく減った上に母の脳梗塞が再発したのである。手術費用や入院費用…予想していなかったお金が次々と出ていく。ひとまず保険などでまかなえるものの状況的にはあまり良くない。更に2度目の脳梗塞をきっかけに軽度の認知症が見られるようになってしまったのである。
一方、フリーランスとしての仕事もそれほど順調ではなかった。仕事を貰うためにディスカウントをしたり、クライアントとの関係を築くためのサービスだと考え無償での作業を引き受けてしまったり、更には他のフリーランスが安い金額設定をしたために、不本意な価格競争にも巻き込まれてしまったのである。
やがて、亡き父が残してくれたお金や、結婚など将来のために蓄えてきたお金を取り崩さないと生活することが困難となってしまった。
それでもYさんは自分の母親を施設などに頼らず自分自身で介護する選択を変えなかった。
「この家は私たち家族の大切な居場所なんです。そして父との思い出が残っている場所でもあるんです。そんな大切な場所から母を引き離すことなんてできません」とYさんは強い意志を見せる。とはいえ、Yさんの意志とは反対に生活は困窮していく。Yさん母の認知症も更に進行し、金銭的な不安だけではなく精神的な不安がYさんに襲いかかる。
銀行の残高も残りわずか、もう1年なんてもたない……一気にYさんは生きる気力を失い「死」という選択肢が頭に浮かんできたという。
「私はお金が全てじゃないと思っていました。だってお金があっても父が生き返る訳ではないし、でも、現実的にいえば、お金がなくなると冷静ではいられなくなるんですね。今回の件でよく分かりました」そう語るYさん。
全てを精算してしまおうかと本気で考えていた頃、かつての上司が仕事を振ってくれた。金額もそれなりであり、この状況で仕事をくれたかつての上司のためにも、とりあえず今回の仕事はやり遂げようと考えたYさん。約半年間は人生を精算することを先延ばしにした。
やがてその仕事が終わる頃に、かつての上司から生活状況などを聞かれた。最初は適当に答えていたが、親身になってくれるかつての上司に思わず本音がこぼれてしまった。
心配したその上司は「直ぐに仕事とある人を紹介してやるから待っていろ!」とYさんに告げた。
父との大切が思い出が残る大切な家を守りたい
程なくしてYさんは以前の生活を取り戻すことができた。それはYさんがリースバックという選択をしたからだ。
かつての上司が紹介してくれたのは、その上司が仕事上付き合いのあるリースバック会社であり、上司自身リースバックの利点を熟知していたため、Yさんの状況を聞いて咄嗟に判断出来たのだという。
フリーランスの仕事を波に乗らせるのは一朝一夕ではいかない。しかし、お金は毎日減っていく。そのためそれが原因で判断が鈍り最悪な選択をしてしまう場合も少なくない。そのため、まずは金銭的な不安を取り除き、冷静なった後に様々な改善を考える方が良いと、Yさんのかつての上司は考えたという。
Yさんはリースバックを利用しYさんの父が残してくれた不動産を手放した。幸いにもYさんの母は完全な認知症に至っていなかったため、手続きを進めることができたが、もしYさん母の認知症が更に進行し判断ができないような状況になっていたら手続きは長引き間に合わなかったもしれない。
「これから母の状態がどうなってしまうかわかりませんが、父との思い出が残るこの家に住み続けられることができて本当によかったです。母もき
っと安心してい生活していけるはずです」とYさんの顔は安堵した様子だった。
Yさんはまだ若い。まだまだやり直せる。
「一時的ですがお金の心配がなくなったので、次は仕事の状況を改善してフリーランスとして食べていけるように頑張っていきます。今回の件でかつての上司も色々と協力してくれるとのことで心強いです。いずれはこの家を買い戻したいので…」
Yさんの目は力強く未来を見つめていたのである。